船橋市古和釜周辺の風景
【第9回】
大穴南
3丁目
2018.10下旬撮影
午後3時半頃
大穴中学校下の坂からスタート
坂の途中辺りに新しく出来た住宅地。
この場所に家が建つとは… 以前は、そんな感じの場所でした。
坂から下を見ると、こんな感じ。さっきの住宅地も見えますね。
ここから、私が子供の頃、たまに親と一緒に散歩していたルートに入ります。
遠くに見える建物群は、高根台住宅というらしいです。
未舗装路
雨の日は、園児達の足元は泥だらけですね💧
農家の反対側の竹林内にあった祠。
その農家さんの敷地内にも、祠がありました。住人も居たし、撮影は控えましたが。
来た道を振り返って撮影。直前まで、私の前を親子連れが散歩していた為。
ここで、折り返します。
少し、交差点に出て撮影。ちなみに、この先を行くと、高根公団駅の方へ。
折り返し地点にあった祠?
四国八十八ヶ所、お遍路の関東版ですかね?
いつの間にか出来てました。
二俣に分かれた、片方の道。暫く行くと、住宅地に出ます。今回は行きませんでした。
二俣の道を振り返って撮影。撮影タイミングを逸しました…
脇道には、未舗装路がチラホラ。
少し大穴中学校の方に戻って撮影。
ここで、小学生の頃、自転車に乗る練習をしました。当時は、こんなに家は無かったと思います。
住宅地の中。
元の道に戻って撮影。
向こうに見えるのは、高根台団地。
遠くには、八千代緑が丘のマンションが。
坂を下りると、いつもの場所に。
(あとがき)
10月下旬撮り溜めシリーズです。
まず、このブログのタイトルが最終決定しました。以前は、『船橋市古和釜』というストレート過ぎるモノでした。これは、検索に引っ掛かり易い様に、と思って付けたんですが、副題の「船橋市古和釜周辺地域の風景」の、「古和釜・風景」で十分に検索に引っ掛かったので、必要無くなりました。
ブログ創設前に、『古和釜ニアン』という、古和釜+マニアの造語を考えてたんですが、古和釜町Onlyじゃないし、と思い辞めてました。
再び、タイトルを考案する際、マニアの英語の綴りを調べたら、【mania】は、人の趣味とかを言い表すより、場所とかに付ける様な事が書いてありました。「ここがア◯メイトか!」みたいな。そして、あまり良い意味では付けないらしいです。
妥当な表現は「Fan」で、『古和釜 Fan』
なんか、雑誌『鉄◯ Fan』みたいです。それに、日本語としては、余りにライト感覚過ぎな気もしました。
なので、maniaの例文
「This is ◯◯ mania!」
(ここが、◯◯マニアかっ!)
「ここが、聖地かっ!」みたいなニュアンスを採用したという次第です。
また、最初は、「This's」 を使ってましたが、あまり使わない書き方らしいので、例文通りの「This is」に戻しました。
また、ブログの1番上にある画像も変更しました。以前は、風景写真でしたが、載せると何故か横向きに表示されてしまってました。小さいから良いか、と思ってましたが、折角タイトル変更したし。
目線入りのおっさんの画像です。私本人で無く、あくまで私のイメージという事で。目線入りだし、どっかのイチおっさんだから、大丈夫🙆♂️ですよね?
おっさん画像は、横向きにならなかったのも、GOODポイントです。
さて、今回は、大穴南3丁目です。例のごとく、私は大穴町と思ってました。調べたら、30年位前には変更になっていたそうです。
ただ、撮影途中、電信柱に「大穴町◯◯◯番地」という表記があったので、長い間勘違いしていたのも無理は無いかと… そのまま残ってたんですね、たまに取り外し忘れてる所もありますし。折角だから、遺して貰いたいです。
今回の海老ヶ作公民館からのルートが、私の、大穴町(正確には、大穴南ですね。敢えて、大穴町と呼びますが…)に抱いているイメージです。勿論、その先には、大穴北や大穴南などの住宅地が広がってるのは知ってはいましたが、やっぱり、農家と畑と竹林ですね。
そして、このブログを始めて判ったのは、私♂の地元に対するイメージにとって、大穴町がこれだけ深く関わっていたんだな、という事でした。
大穴町は、近くて遠い存在という感じだったし、私♂の普段の生活圏というかルートから外れてましたが。でも、散歩等を通して出来上がった、古和釜周辺のイメージの半分は、大穴町の風景ですからね。
今後、大穴北や大穴南を撮影する機会もあるかもですが、住宅地を撮影するのは、ちょっと…
ですが、大穴北には、有名だという『パンダ🐼公園』が有るとの事なので、いづれ機会を作って撮影に行ってみたいです。
(第9回 終わり)